院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


会心のホームラン

 
「T君は、現在三八歳。橋出血で倒れ、それ以後は遷延性意識障害で寝たきりの状態です。発語・意思疎通は不可。自発開眼はしますが、追視なし。四肢・体幹の運動麻痺。唯一動かせるのが両側のまぶたと、眼球。といっても上下方向だけです。気管切開されていますが、呼吸機能は良好です。嚥下は不能で経管栄養。発症からの経過は診療情報提供書に詳しく書いていますが、なにかお聞きになりたいことがあれば、こちらの方にご連絡下さい。」長身白皙の男性は、明朗に病状を説明すると風のように帰っていった。手渡された名刺には、脳神経外科 医学博士 診療部部長という肩書きがあった。主治医の引き継ぎは、わずか二分で終了した。
「あの先生、何をしにわざわざ東京から沖縄まできたのかしら」一緒に対応した看護師が少し不満そうに言った。
「こういう状態の患者さんを搬送する際は、ドクター同伴という取り決めが、そこの病院にはあるんだろう。先生も忙しい中、来てくれたのかも知れない」
と返事はしたものの、「おおかた、これ幸いにと、二、三日休暇をとって、のんびりゴルフでもして帰るんだろう。」と心の中で思った。一方で、下種の勘繰りという気もした。廊下から病室へ入ると、あまりに快活で歯切れのよい元主治医の応対を恐縮するように、T君の母親が小さくかしこまって、お辞儀をした。
「すみません。宜しくお願いします。」
「こちらこそ、宜しくお願いします。今日から私が主治医をさせていただきます。」
母親の隣を見ると、T君がリクライニング式の車椅子に座り、小刻みに唇を震わせていた。随意的ではないだろうが、表情筋はある程度動く様だ。彼は、やや場違いな野球帽を被っていて、それはヤクルトスワローズの帽子だった。「息子さん、野球が好きだったんですか?」と聞こうとして、言葉を飲み込んだ。過去形で聞くことに気が咎めたからだった。小春日和、昼下がり。青空の明るさは北向きの病室にも忍び込んで、ベッドの上に、こぢんまりと置かれた荷物に淡い影を与えている。それは、彼が異郷の地から故郷へ持ち帰ったすべてだった。
  T君の入院は比較的平穏に過ぎていった。母親は毎日六〜八時間はベッドの側にいて、身の回りの世話をしながら、けして返事をしない息子に、何か話しかけている。時々は車椅子に乗せて、病院の周りを散歩する。病気の発症後、状態が落ち着いてから、ずっとそういう時間を親子で過ごしてきたのだろう。そしてこれからも。あるとき冗談めかして私は言った。
「おかあさん、時々は息子をほったらかして、自分の時間を作らなきゃ。のんびり羽でも伸ばして、旅行でもしてきたら? その間は私たちがバッチリ面倒をみるから。」
「ありがとうございます、先生。いつか、そうさせてもらいます。でも息子は寂しがり屋だから。」
「何だ、いい年して。」
私は、T君の肩をポンと叩いた。気のせいかそれに反応して、T君が引きつるように口を動かした。しかしそれは気のせいではなかった。
 ある日T君の母親が言った。
「先生、息子は、こちらの言うことが分かるみたいですよ。ちょっとした顔の動きや表情で、気持ちが通じ合うんです。」
はじめは半信半疑であったが、看護スタッフや介護の人たちも同じような事を言う。歯科衛生士のOさんも、笑いながら頷く
「先生、絶対、分かってますって。面白い冗談と、そうでないジョークでは反応が違うし、機嫌のいい時と、悪い時では口腔清掃している時の態度が違うんです。」
私も色々と試してみるが確信が持てない。そんな時、お母さんが重要な指摘をした。「はい」の時は目をぱちぱちして、「いいえ」の時は動かさない。いくつか質問をしてみると、母親の言う通りであった。

作業療法士のC君を中心に、T君とコミュニケーションをとるプロジェクトがスタートした。「はい」、「いいえ」であれば、かなり難しい質問でも的確に答えることができる。しかし、手作りの文字盤を使っての会話は、はかばかしくない。いろいろ検討する中で、唯一動くまぶたを使って、文字の入力が出来そうな機械の情報をC君が手に入れて来た。その機械は、Let’s Chatという商品名の電光の文字盤で、身体の動く部位にセンサーを貼り付け、その動きを感知すると本体に信号が送られ、文字を一文字ずつ選択出来る仕組みを持ったものである。選択した文字は次々と表示エリアに送られる。これを繰り返して、文章を組み立てる。すべて入力後、機械がその文を読み上げてくれる。
 デモ機がセットアップされ、最初の言葉が入力されるのを、私たちは固唾を飲んで見守っていた。まぶたに貼り付けたセンサーは正常に作働している。使い方の説明を彼は理解することが出来ただろうか。私たちの不安をよそに、彼は一文字ずつ、確実に打ち込んでゆく。彼が最初に入力した言葉は「Oさん、かわいいね」だった。どっと笑い声が起き、張り詰めた空気がほぐれた。「あらまあ!」その場にいた歯科衛生士のOさんは大袈裟に驚いてみせた。数年ぶりに取り戻した言葉。記念すべきその最初の言葉が予想外の軽口で、皆が笑顔で彼を祝福した。彼は例の引きつるような表情で口元を動かした。(後にそれが彼の笑いであることが分かったのだが)そして、次に入力した言葉が、「おかあさん。いつもありがとう。」だった。その時私は、彼の気持ちが痛いほど分かった。こみ上げてくる熱いものに胸が震えた。何の飾りもない言葉が、これほどまでに人を感動させるものなのか。七年間も付ききりで看病し、見守っていてくれた母。自分の状態が自分自身受け入れられず、心の中で泣き叫んでいたあの時、ずっと側にいて手を握ってくれていた母。一言も答えられない自分に、毎日優しく語りかけていてくれた母。「おかあさん。いつもありがとう。」ずっと言いたかった言葉なのだ。最初は照れて言えなかったのだ。万感の思いを込めて、綴った言葉を機械が読み上げる。そのぎこちない抑揚が、むしろ心に沁みる。母親は泣きながら笑っていた。私は笑いながら泣いた。いつもは無表情な彼の顔が、誇らしく自信に満ちて見えた。涙を隠そうと目をそらすと、彼の野球帽が見えた。入院の時、「野球が好きなんだね。」と聞くべきだったのだ。問われなかった問に答えるように、今日彼は軽くひと振り、素振りをくれたあと、おもむろにバッターボックスに入ると、直球ど真ん中のボールを思い切り振ったのだ。皆の心に快音が響いた。それは会心のホームランだった。




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